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「おくのほそ道(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス) 」 旅に出たくなるなぁ [読書 : 読んだ本の紹介]

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★あらすじ

時は永遠の旅人であり、月も日も始まりと終わりを繰り返しながら歩み続ける。私も人生は旅だと自覚している。
白河の関を越え、みちのくへと旅だった。仲間が千住まで見送りに来てくれたが、別れを惜しんで涙を流した。
 行く春や鳥啼き魚の目は涙
これを旅の句の最初として出発した。

未だ心が落ち着かずに日数ばかりたつうちに白河の関(福島県)に入ったが、ここでやっと心が決まった。昔、平兼盛や能因法師、源頼政の歌に出てくる白河の関だ。今の時期、卯の花や白い茨の花が咲いていて、雪に包まれた関を越えるような気分になっている。

奥州藤原氏三代に渡って築いた栄華も儚く消えた。平泉にあった秀衡の館は今は田野に変わってしまっている。笠を敷いて腰を下ろし、悲劇を懐古しながら涙に暮れた。
 夏草や兵どもが夢の跡
 卯の花に兼房見ゆる白毛かな 曾良

最上川は山が覆い被さるように迫り、樹木の生い茂る中を船が下っていく。川の水は満々とみなぎり流れ、船を下すのが危険なほど速い。
 五月雨をあつめて早し最上川

★基本データ&目次

作者角川書店 (著, 編集)
発行元KADOKAWA / 角川学芸出版
発行年2011

  • はじめに
  • 本文
  • 解説
  • 附録
  • コラム

★ 感想

本書の各章の構成は、
  • 訳文:他書だと注釈に回されるような、人名・地名・引用された和歌の表現などの説明を、余り違和感なく織り込んだ“訳文”になっていて、とても読み易い。
  • 原文:現代かなに直した原文。本来の文章の持つ語感や調子を知ることができる。
  • 解説:本文では書ききれなかった語句の解説や、芭蕉や曾良の句、関連する和歌の説明が為されている。
という調子。本文と注釈とを行ったり来たりする必要がないので、とても読み易い構成になっています。これはGood!
例えば、原文では
十一日、瑞巌寺に詣づ。当寺三十二世の昔、真壁の平四郎、出家して入唐、帰朝の後開山す。
となっているところを、
五月十一日(陽暦録画国十七日)、伊達家菩提寺の瑞巌寺(臨済宗)に参拝した。この寺は、創建から三十二代目の昔に、法身こと俗名真壁平四郎が、出家して中国に渡り、帰国後に開いたものである。
という感じに“訳して”います。
逆に、当時の人々はこんな解説がなくて理解できたんですかね。だとすると、古典に対するかなりの知識がないと無理でしょう。かなりのインテリ向けの書物だったんでしょう。

そんな「おくのほそ道」、冒頭の「月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり」は知っていたものの、ちゃんと読んだのは初めて。これまた私にとって「題名は知っているけど、読んだことない」シリーズの一冊でした。
いやぁ、俳句っていいもんですね。月やら山やら花やらの実際に目に映る景色と、悲しいだの寂しいだの切ないだのの心象とが、あの短い言葉の中に折り重なって語られているのですから。良くできたものです。自然と自己との一体感というか、連結というか、そんな感じ。
そして、俳句をそこまで昇華させたのが芭蕉さんだったと改めて知りました。それまで、和歌をリスペクトした、いや、パロディにした滑稽さ、奇抜さが俳句のトレンドだったのを、一気に芸術の高見へと持ち上げたのですから。
そんなことが可能だったのは、芭蕉さんの才能は元より、実際に自分の脚で旅をして周り、目で見て、耳で聴いて、自然を、景色を自分のものにしていったからなのでしょう。そしてその過程がこの「おくのほそ道」に記されているのだなと、勝手に納得。

「題名は・・・」の“シリーズ”、なんでもっと早く読まなかったのだろうかと思うことしばしば。今回もまさにそれです。
ということで、おすすめの一冊。

うむ、旅に出たくなったなぁ。。。

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「Cannibalism A Perfectly Natural History」 自身の子供を食べちゃうのって普通のことだった。人間だって [読書 : 読んだ本の紹介]

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★あらすじ

カニバリズム(生物学では共食い、文化人類学では食人)は、自然界では普通にみられる現象である。そこにはいくつか特徴がみられる。
  1. 成熟していない個体(こども)は、成体(おとな)よりも食べられることが多い。
  2. 多くの動物、特に無脊椎動物は、自身の属する種、特に卵や成熟していない個体を、餌と見分けることができない。
  3. メスはオスよりも共食いをすることが多い。
  4. 共食いは空腹の度合いに応じて多くなる。
  5. 共食いは個体の過密度合いに応じて多くなる。

共食いは、魚類から哺乳類まで、全ての脊椎動物においても起きている。
ネズミでも兎(!)でも、母親が自分の子供を食べることがある。子どもたちの中で、身体が小さいものが食べられる傾向にある。特に、餌が少なくなったときに多く生じる。
口の中で稚魚を育てることで知られる種類の魚も、卵や稚魚の一部を飲み込んでいる、つまりは自分の子供を食べているのだ。
子供同士でも食べ合う。先に育ったもの、大きな身体のものが、小さな兄弟姉妹を食べる。あるサメの仲間は、母親のお腹の中で卵が孵化し、生まれてくるときはちゃんとサメの姿になっている種類がある。その母親のお腹の中では、先に孵化して大きく育った個体が、残りの兄弟や卵を食べてしまうのだ。
一部の個体(大きく育ったもの、強いもの)を生かすために、他の(弱い、小さい)個体は食料となる。それは普通に見られる性質なのだ。

人の場合はどうだろうか。
旧約聖書には、飢餓に陥ったエルサレムやサマリアで食人が行われたとある。また、象徴的な記述だが、新約聖書ではキリストの肉や血を食する話が出てくる。聖餐が象徴的な行為だが、キリストの身体を食べるというものだ。
このような象徴的な話でなくても、人は飢餓状態になれば人を食べる。西部開拓時代、シェラネバダ山脈を越してカリフォルニアに向かっていた幌馬車の一隊が雪に阻まれ、山中で冬ごもりせざるを得なくなった。雪解けまでの期間に食糧は底を尽き、一部のメンバーの肉を食べて生き延びたのだ。(アメリカでは有名な)Donner Partyの話だ。

飢餓とは関係なく、食材として人肉を食する文化が中国にはあった。十三・四世紀に書かれた書物では、「人肉料理の仕方」が載っていいるし、貴族や上流階級の人々の食事に饗されていた。元の時代に書かれた書物には「子供の肉はどんな料理と比べても一番美味しい」と記されている。
儒教の教えでは、子供は親に尽くすことが善とある。そのため、子どもたちは自分の身体の一部を切断し、スープにして親に供することもある。

現代人でも、色々な意味で共食いをしている。最近流行しているプラセンタ美容だが、これは名前の通り、胎盤(もしくは胎盤から作られたサプリメント)を食べるというもの。米国では自らの胎盤を調理して食べているグループもある。動物学者の観点(著者は動物学者)からすると、哺乳類の中には出産後に胎盤を母親が食べるという習性を持つものがあるが、どのようなメリットがあるか興味深い。

★基本データ&目次

作者Bill Schutt
発行元Algonquin Books; Reprint版
発行年2017

  • Prologue
  • 1: Animal the Cannibal
  • 2: Go on, Eat the Kids
  • 3: Sexual Cannibalism, or Size Matters
  • 4: Quit Crowding Me
  • 5: Bear Down
  • 6: Dinosaur Cannibals?
  • 7: File Under: Weird
  • 8: Neanderthals and The Guys in the Other Valley
  • 9: Columbus, Caribs, and Cannibalism
  • 10: Bones of Contention
  • 11: Cannibalism and the Bible
  • 12: The Worst Party Ever
  • 13: Eating People Is Bad
  • 14: Eating People Is Good
  • 15: Chia Skulls and Mummy Powder
  • 16: Placenta Helper
  • 17: Cannibalism in the Pacific Islands
  • 18: Mad Cows and Englishmen
  • 19: Acceptable Risk
  • Epilogue: One Step Beyond

★ 感想

あらすじで述べたように著者は動物学者だそうだ。実際、本書の前半は昆虫や動物たちのカニバリズムの話が主だ。
だが、ネアンデルタール人の食人の話辺りから文化人類学的な話に移っていく。大航海時代には“常識”となっていたラテンアメリカの人々の食人習慣は本当なのか、ドナーパーティーの真実はどうだったのか、パプアニューギニアで広まったクールー病(クロイツフェルト・ヤコブ病の一種。いわゆる“狂牛病”)は葬儀における人肉習慣が伝播ルートだったなどなど。
カニバリズムをこれだけ“横断的”に扱った作品はこれまで読んだことがなかった。生物学的な話か、文化人類学的な話、もしくはサイコパス的な話のどれかはよくあったのだが。それもあって、カニバリズムは“普通のこと”だというのも再認識させてくれた。人だけが“特殊”としか思えない。いや、人も飢餓状態になればカニバリズムを行う訳で、やはり動物の仲間なのだなとこれまた納得。

それにしても、母親の胎内で共食いをするサメの話はなかなか。母親の胎内と言えば、心安まる場所の代名詞。それなのに、そこではまさに産まれる前から生存競争が始まっていたとは。いやぁ、厳しい世界だ。
リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読めば、我々“個体”の生には大きな意味はなく、遺伝子配列が受け継がれるための手段に過ぎないと分かる。であれば、遺伝子を残すのに兄弟達が餌になるくらいはなんと言うことはないのだろう。

飢餓は人を“元通りの性質”に戻す。分かってはいるが、色々と例を出されて説明されると恐ろしいものだ。ミームに従うしかない私自身も、自我を持って自己を認識している。人を食べるのは、なぜだか分からないが躊躇いがある。でも、本書で著者は警告している。このまま地球温暖化が進めば、人口に対しての食料が減り、相対的に人口過多になる、と。つまりは最初に言われた「共食いは個体の過密度合いに応じて多くなる」という条件が発動してしまう。

イメージだけで語られることの多い「カニバリズム」だが、知らねばならないことは多い。読むべき一冊。


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2018/1/30にペーパーバック版が出る予定です。




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現代思想 2017年2月臨時増刊号 「神道を考える」 : こんなにカオスな世界なのか。サッパリ分からん [読書 : 読んだ本の紹介]

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★あらすじ

神道とは何か。現在、「日本の有史以来の土着信仰として、歴史的変遷を超えていき続いてきた伝統」が神道とされている。しかし、イスラム教と比較すると、イスラムの教え(神学)があってのモスク(イスラム教の寺院)という関係に対し、神道は神社の存在が先に有り、その存在に則って二次的に言論化されたものだ。実際、神道よりも神社の方が歴史はかなり古い。
記紀の時代には、「神道」という言葉は、仏教の世界における鬼神の思想に対して使われた用語だった。その時代には、天神地祇(てんじんちぎ:略して神祇)と呼ばれていたものが、現代の神道に当たる。そして、律令において神祇祭祀が定められていた。
天神とは天の神様のことで、地祇とは国の神様を示す。天皇が祀る天神と、各地の氏族が祀る地祇とが明確に分離されていて、それぞれ不介入なものとなっていた。これは当時の政治体制そのものである。
その後、体制が中央集権的になっていくに従い、国家祭祀へと収斂していく。

中世(鎌倉時代~室町時代)になると、「神道」の概念が整理されていき、様々な流派が生まれてくる。その集大成的なものが吉田兼倶による「吉田神道」だ。それまでが、仏教の教義の中、もしくは仏教ありきで語られてきた神道だったものを、独立したものとして流派を打ち立てた。
ただ、彼が教義をまとめるに当たって“引用”した(とされる)経典・文書・(神社の)縁起のほとんどが偽作か、もしくは彼自身による創作だった。主著である「唯一神道名法要集」も、吉田卜部氏の遠祖のものとしていたが、実際は彼の著作物である。
だが、神道を独立した宗教として確立させた功績は大きい。

★基本データ&目次

発行元青土社
発行年2016
ISBN9784791713363

  • 討議1 隠された神々の世界を求めて
  • 討議2 歴史としての神道
  • 神道とは何か
    • 神道の概念化とユートピア
    • 神道と祭祀
    • 幽と顕の系譜と葛藤
    • イザベラ・バードの見た神道
    • 翁―古くて新しい超越性の誕生
  • 神道と国家
    • 神道と国体論・天皇崇敬
    • 明治政府新造の人格神 墓を抱え込んだ神社と脱落させた靖国神社
    • 神道における公共性 改憲論 対 生前退位メッセージ
    • 吉本隆明・記紀書・南島論
  • 中世神道の世界
    • 吉田兼倶の「神道」論
    • 中世の諏訪 「南宮」と諏訪流神道をめぐって
    • 中世神道研究の現在
  • 創造される神話
    • 八百万の神達 「梵天帝釈、無量の天使・・・」?
    • 王仁三郎序説
    • 本居宣長と平田篤胤は神道をいかに再構築したか
    • 反転する神学 中世における「神道」成立の機制をめぐって
  • 神道の可能性を考える
    • 神々を選んだ山上憶良 遣唐使と神
    • 神道、あるいはシニフィアンの宗教
    • ふたりの「愛ランド」 <結婚>の先例としての国生み神話
    • 神をよせる女たち
    • 家・中国化・メディア 折口信夫「死者の書」の構造
  • 変貌する神道
    • 神道・大嘗祭・折口信夫 <神道>はいかにして可能か
    • 近代仏教と神道
    • 古事記のなかの神武天皇
    • 「神道に於ける根本問題」 折口信夫のムスビ論

★ 感想

キリスト教やヒンドゥー教の本は良く読む。“外国”文化を知るための基礎知識だと思っているから。そして、その裏返しとして、日本のことについてはなんとなく理解しているつもりでいた。でも、こと神道については誤解していることばかりだったようだ。
統一的な聖書・聖典の類がないことは知っていたが、古事記や日本書紀、その他の風土記などの集合体として、もう少しまとまっているもだと思ってました。神話を宗教として固めていく時期にはもう、外来の仏教が大きな勢力となっていたからなのかな。

他にも、「森羅万象には全て神が宿り、それを八百万の神々と呼んでいる」という考え方は、実は最近のものだったというのにも驚き。少なくとも記紀の時代の“八百万の神々”という言葉には、自然崇拝やスピリチュアルな要素はなかったとのこと。戦前の天皇崇拝のための国家宗教となった神道が、戦後に原点回帰してアミニズムの要素を“新たに”採り入れた、ということなのかな。

この感想を書いていて、自分の理解がこれで正しいのか自信が持てない。それほどに、神道自体が混沌としたものだし、自分のこれまでの知識も乏しいものだったということ。そして、本書によってそれが認識できたことが、まずは収穫。
もうちょっと勉強しないとダメですな、これは。それに気づかせてくれた本書に感謝。
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