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2017秋 京都一人旅:神泉苑、二条城、晴明神社、堀川ブラブラ [旅行 :旅日記]

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秋休みを取って、ぶらりと京都を一人旅してきました。

★ ぶらりと京都へ

秋休みを取って、二泊三日で京都を一人でブラブラしてきました。
一番の目的は、KYOTO NIPPON FESTIVALでやっている「伊藤万理華の脳内博覧会」を観に行くこと。渋谷のGALLERY X BY PARCOでもやっていたんですが、事前抽選にも、当日の抽選にも外れてしまったので、これはもう京都に行くしかないと思ったのでありました。

ついでに、今まで余り行ったことのない場所にも行ってみようと、ブラブラしてきた次第。

★ 神泉苑

宿を二条城のそばに取ったので、まずは神泉苑へ。
ここ、名前は知っているものの、行ったことがありませんでした。平安京遷都当時の大内裏の南側に造られた庭園がその発祥だったそうです。その頃はもっと広大な庭園で、南端は現在の三条商店街辺り。今も商店街に残る八坂神社三条御供社も庭園内の施設だったそうで、この場所で祇園祭の原型となる祭が始まったのだそうです。
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池がメインの場所なので、こんな塚もありました。ペアで並んでいる「鯉塚」、「亀塚」がカワイイ。
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朱色の太鼓橋が池にかかる。もうちょっと水面が穏やかだと、橋がもっときれいに映っただろうに、ちと残念。
龍を模した遊覧船?が池に浮かんでいたが、営業はしていなかった様子。
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紅葉がもう少し進めばさらにきれいだったかも。でも、街中にこんな庭園があるなんて、さすがは京都。

神泉苑から2ブロック南にある三条商店街の中にあります、八坂神社御供社(又旅社)です。アーケード街の中にあってなかなかユニーク。
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★ 二条城

江戸時代になって、徳川家康が上洛時の居城として築城したのが今の二条城。大坂冬の陣・夏の陣ではここから出撃したそうなので、別荘というよりは、ちゃんとした戦争用の城だったのでしょう。その後は天皇の行幸などもあり、より豪華になっていったそうです。
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京都全体がそうなんですが、特に二条城は海外からのお客さんが多いところでした。ボランティアなんですかね、ガイドさん達も英語で解説している人が多かったな。
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残念ながら御殿の中は写真撮影禁止。
いやぁ、さすがに立派。広大なお屋敷です。各部屋には立派な襖絵が描かれています。残念ながら模写が置いてあって、本物は宝物殿の中で展示中とのこと。
今年は大政奉還150周年らしい。江戸時代終焉の時だったので、たしかにもっとクローズアップされてもいいかも知れないですが、言われて初めて気が付きました。なにせこの二条城はその舞台。ということで、御殿の大広間には、大政奉還の様子を描いた絵を元にして再現した人形が置かれていて、当時の様子をうかがい知ることができます。将軍に拝謁している家来たちと、やたらと距離がある。あれでは話も聞こえなかっただろうと心配になってしまいました。だから、間を取り持つお茶くみ坊主が這入るスキが生じたのでしょう。そんなことをツラツラ考えながら御殿の中を見学したのでありました。
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庭園も広大できれい。
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御殿の中、外の庭園と、かなり歩き回ります。覚悟して見学してください。あと、敷地内に入るのは有料です。堀川通沿いにチケット売り場があります。

★ 晴明神社

二条城前の堀川通を北に進むとあるのが晴明神社。言わずと知れた、陰陽師 安倍晴明を祀る神社です。ここは日本人の方が多かったかな。参拝客が行列を為していました。
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十世紀後半から十一世紀にかけて、歴代の天皇に仕えた安倍晴明。実在の人物ですが、死後に書かれた「大鏡」や「今昔物語集」、「宇治拾遺物語」などでは既に“伝説の人物”的に描かれ、不思議な力を持つ人として登場しているそうです。(この辺り、ちゃんと読んでいないので聞き書きですが。。。)

五芒星のマークは陰陽五行の象徴だそうで、家紋(神社の場合は神紋というそうですが)もこのマーク。
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この場所、豊臣秀吉の時代には千利休屋敷があった場所で、その井戸として伝わっているのがこれ。
恵方(縁起のいい方角)に星の向きを設定しているそうで、御利益があると言われてます。
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★ 一条戻橋・堀川周辺

なにせ千年の都である京都。そこら中が歴史的な意味有りの場所ばかり。堀川通沿いに流れる、というか、通りの名の由来でもある堀川は、実質的な都の境界線だったようです。ここから西(かつての右京)は湿地帯だったためか、居住に適さず、廃れた地域だったのです。なので、堀川に掛かる一条戻橋を渡ることは、都の外に出てしまうということになり、そこから諸々の伝説・逸話が生まれたようです。
上記の晴明神社、そしてかつての千利休屋敷は一条戻橋の西側にあった訳ですが、切腹して果てた千利休の首がこの橋のたもとに晒されたらしい。
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私が知っていた頃の堀川は、いわゆるドブ川。暗渠になっているエリアも多かったかな。最近になって再整備され、とてもきれいになっていました。初めてその姿を見たんですが、かつての様子との様変わりにビックリ。ちゃんと水が流れているし、川岸を降りたところに遊歩道まで造られていた。
これでは魑魅魍魎も居場所がなくなってしまったんじゃないでしょうか。まあ、一条戻橋より北側は整備がまだなのか、私の知っている姿を留めていましたが。
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一条戻橋のそばには白峯神宮がありました。
江戸時代最後の天皇である孝明天皇は、かの崇徳天皇を祀る社を建てようとしましたが、時代が時代だけに断念。その遺志を息子である明治天皇が継ぎ、建立させたのだそうです。なので、京都の中ではかなり新しい神社。
建立した場所が和歌・蹴鞠の公卿宗家「飛鳥井家」の邸宅跡だったので、この神社は蹴鞠で有名らしく、そのために球技、特にサッカー関係者からの信仰が厚い神社となったそうです。
スポーツ関係者からの奉納品が山のように積まれていましたよ。
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堀川通沿いには堀川商店街がアーケードを設けて並んでいました。古い民家が残っている地域のようで、商店街の店舗はアパートを兼ねているようです。なかなか渋い佇まい。
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ただ、商店街としては残念ながらシャッターを占めてしまっている店舗が多い。ここの商店街だけではなく、三条商店街も同じような感じ。京都といえども、観光の中心地を離れると“地方都市”の多くが抱える問題が同じようにあるんですね。
とは言え、おしゃれなチョコレートの店など、空き店舗だったところに入居したのだろう、今どきの店がチラホラあったので、“再生途上”なのかもしれません。そうであることを願うばかり。
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という感じで、一日目の観光が終了したのでありました。

京都市内はバスや地下鉄を利用してあっちこっちに移動可能なのですが、二条城しかり、歩き回ることも多く、この日は二万歩を越えてました。いや、実は三日間とも二万歩以上歩いたんですけど。
最近、運動不足だったし、まあそれもよかったでしょう。

旅日記、続きます。


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